【久しぶりの帰省③】30年ぶり!中学校の同窓会へ

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年始に福岡へ帰った目的の一つは、地元の中学校の同窓会へ出席することでした。

なんと!同級生に会うのは30年ぶり。

水泳部のキャプテンだった友人から声がかかり、「最近、お家にこもってばかりだしなぁ。遠いけど、行くか!」と返事をしました。

今からは想像できないと思いますが、当時は水泳部に入っていて、夏はラン3キロ+スイム3キロ、冬はラン6キロを毎日やっていたのでした。

トリ

今は400m泳いだだけで、ギブアップ

でも、帰省直前はクマも呆れるほどの絶賛後悔期に入りまして「あーん、行くなんて言わなきゃよかった、面倒だよ〜〜」「行ったら楽しいって」という会話を何度も繰り返していました。

クマ

自分で行くって言ったくせに、困っちゃう

今日は、本当に久しぶりに故郷の景色を見て思ったこと、同級生たちのその後、ずっとお礼を言いたかった先生に会えたことについて書きたいと思います。

目次

地元は別の経済が回っているのではないか?と思ったこと

地元の駅に立った時、駅前の景色がほとんど変わっていないことにびっくりしました。

まるで時が止まっているかのよう(駅舎は少しだけ綺麗になっていました)

20分に一本の電車、30分〜1時間に一本のバス、地面が砂利の駐車場(駐車場と野原の境目がないw)わー変わってないなぁというのが第一印象でした。

その後、タクシーで海の方へ移動して、同窓会の会場へ向かいました。

会場にいたのは、45歳の同級生たち30人と3人の先生たちでした。

みんな子育て真っ最中で、小学生、中学生や高校生のお子さんたちがいる人がほとんどでした。

少子化が進んでいるニュースばかりですが、地元の同級生たちは2〜3人のお子さんがいて自分たちが通った公立の小学校、中学校へ通わせながら「住みやすいけん、離れられんばい」「こんなよかとこ、なかよ」と地元ラブになっていました。

そして、「これからは、地方に新築の家を建てるのは経済的に効率的ではない」という理論は一切無視されており、みんな新築のお家を建てていました(笑)土地はおじいちゃん、おばあちゃん、近所の人からもらったり!したみたいです。

自然が豊かで海風が吹いてくる中で暮らしているからか、同級生たちは超元気!

驚くべきことに「福岡で住みたい街」にランクインしたとかで、町役場に勤めている友人は「そりゃそーよ!どこを撮ってもインスタ映えするけん(トトロが出てきそうな街という意味で)そう思うやろ?」と大張りきりでした。

たかちゃんの話:10年かかったよ

久しぶりに会った同級生の中で、面白いなぁと思ったのがたかちゃんでした。

たかちゃんとは小学校も同じで、給食を残して昼休みに残されるというのを一緒にやっていました。たかちゃんは偏食気味で、私は少食。給食のトレーを目の前に置いたまま、紙に書いたゲームをやったり、おしゃべりをしたりしていたのでした。

たかちゃんとは高校が別々になって全く会わなくなり、その後、すっかり忘れていました。

トリ

ごめん、たかちゃん

久しぶりに会ったたかちゃんは、なんと個人投資家になっていました!

アスリートのようにある分野で10代の頃プロを目指していて、みんなが大学受験する年に、その道のプロにはなれないことがわかったそうです。

そこから、紆余曲折あったものの、5年くらい証券会社に勤めた後、独立して個人投資家になったそうです。

「安定するまで10年くらいかかったよ。まぁ、プロにはなれなかったけど、全てを賭けて一生懸命にやった経験はよかったよね。息子たちにも何か一つでいいから一生懸命できるものを見つけて欲しいよね」と言ってました。

数学に救われて

そして、ずっとお礼を伝えたかった数学のH先生も出席されていました。

当時先生は30歳くらいで、全然勉強しないやんちゃな中学生たちを相手に悪戦苦闘していました。

授業がとにかく丁寧で、できない子に合わせて進めていました。そのため、簡単な問題も一行ずつ解説しながら、ゆっくりゆ〜っくり進む感じ。

数字だけは小さい頃から得意だったので、授業中は暇すぎて交換日記を書いたり、教科書の後ろの方の問題を解いたり、飽きたら窓から森の木漏れ日を眺めたり、「数学の時間=至福の時間」だったのでした。

大学生になって、数学の家庭教師のアルバイトを始めました。

最初に教えた子は中学1年生の中間テストで30点を取るくらい、分数の計算ができないまま中学生になった女の子でした。

中学校の教科書を使って教えてもダメだなと思ったので、小学3年生の薄いドリルから始めることにし、H先生の授業を思い出しながらゆっくりゆっくり進めて行きました。

分数については、ドーナツをいっぱい買って行って、二人で半分にカットするところからスタートしました。これが1/2ねというところから。

だんだん理解してきたので、少しずつ難しくしていき

「1/8と1/6を足したら、どうなる?」

「先生わかったで。一口分や」

さすが関西人と思ったのを覚えています。

その結果、期末テストでは60点を取ることができ←なんとか追いついた、お母さんから喜ばれました。

そして学年の終わりには90点以上取れるようになり、お母さんが広報隊長になってマンションのお友達に私を売り込んでくれ、最終的に5人に数学を教えるようになりました。

早朝のローソンバイト(5〜9時まで)と夕方の家庭教師(高時給&得意なこと)でお金を貯めることができ、その後の留学資金になったのでした。

無事にニューヨークでの生活がスタートしてしばらくした時に、「画材が買えるのも、Macが買えるのも、数学のおかげだな。H先生にお礼を言いたいな」と思ったのでした。

当時、先生がどこの学校に勤務しているかもわからずそのままになっていたので、今回久しぶりに先生にお会いして、ようやくお礼を伝えることができました。すごく喜んでくれました。

まとめ

30人のうち、私を含めて4人が東京に住んでいることがわかり(たかちゃんも)、今度東京で飲むことになりました。

ずっと連絡を取っていなかったにも関わらず、すっと入っていけるのはお互いの思春期を知っているからかもしれません。

地元は相変わらずの田舎で、鳥の声も大きく、森は大きく、海風が気持ちよかったです。

両親の様子を見に帰る回数を増やそうと思いましたので、また同級生たちにも会いたいと思います。

「今度うちに泊まりにき」「町役場にIT推進課ができたけん、そこで働いたらいいとよ」と勝手に色々言ってきますが、ありがたいことですね。

よい週末を♪

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